すみかみ今昔
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 00_Sumikami
MitoMinamiAirport
   左が大東亜戦争末期に米軍が
水戸空爆を企てる為に空撮した
水戸市街と周辺と南飛行場です


当時、水戸には
軍事工場などは無いにも拘わらず
地図上では工場地帯と明記し空襲した

東京空襲でも
同様に下町の町工場地帯を
軍事工場地帯と称して無差別空爆を
行い罪のない民間人殺戮を行った

参照先
 00_Sumikami
MitoMinamiAirport
私達が今住んでいるこの地はかつて水戸南飛行場が在った処で滑走路の東端に当たると聞き及んでおります。
その水戸飛行場とは昭和15年10月1日に「茨城県東茨城郡吉田村(現:水戸市住吉町)」に設立された陸軍航空通信学校で、
昭和20年5月に水戸教導航空通信師団に改編されたと茨城県立歴史館資料に有りました。  
01_Sumikami
1974to1978 
  当時、冬になると
耕作放棄された原野では
「野火」が頻繁に出て付近住人と
協力して消火に努めました。
必死の消火活動で煤に塗れた
みなさんの顔を思い出します

参照先
01_Sumikami
1974to1978
雑木林は1974〜1978年頃の航空写真(右上付近)にその面影を見る事が出来ます。
私事ですが、昭和51年1月ここに居を構えた頃は雑木林の中に
飛行機や装備や物資、人員等を敵の攻撃から守るための施設である掩体壕(えんたいごう)跡が残っておりました。  

昭和51年初め頃は現19班界隈には数軒の貸家・農家1件そして我が家だけ、それ以外は陸田と耕作放置された原野と雑木林。
国道6号から入る道(現ネッツトヨタ)は今ある点滅信号より先は未舗装で自動車は入れませんでした。
建築確認申請と同時に道路整備申請しました、引っ越してから数ヶ月後に道路整備され舗装道路となりました。
02_Sumikami
1979to1983 
   旧19・20班周辺には
空き地や木立が目立つ

また、ロイヤル団地も無く
国道51号も開通しておりません

参照先
02_Sumikami
1979to1983

飛行場跡地〜開拓事業入植農地化〜農業就労形態変化〜農業離れと時代が進む中、農地を手放す農家が増え続けました。  
 03_Sumikami
1984to1987
   この頃に成って
現14・18班一帯に
家並みが見られる

しかし
国道51号
ケーズデンキ
GS山新
は未だ先になります

参照先
 03_Sumikami
1984to1987
農地の切り売り(当時は1町歩或いは1反歩単位)が目立ち始めたのは昭和40年代中頃だと記憶しております。  
04_Sumikami
1988to1990 
   この年代の航空写真
残念乍ら見つからず

この頃
地図右上には
ケーズデンキやGS山新
そして
国道51号バイパスを
見る事が出来ます

ロイヤル団地をはじめに
一気に住宅が目立ちはじめ
町の様相が一変し出した

参照先
04_Sumikami
1988to1990
宅地化は昭和50年代後半辺りで目立ち、昭和60年代に入ると宅地化が一気に加速し現在に至る。  
 05_Sumikami
2007toNow
   これは2007年以降
開拓入植から70年を迎えた今
開拓に従事した人々の多くは
農業離れ・農地を手放す
開拓地の面影皆無
ましてや
ここに飛行場があった事など
知る人も無くなるだろう

飛行場のあった頃
開拓時代の頃
農業華やかし頃
この町に歴史を語る資料が
極めて乏しい
残そうとする人少なし

何かアクションを
起こさねば成るまい

参照先
 05_Sumikami
2007toNow
   後記
末筆乍ら、「すみかみ」基、住吉町を知りたくて何か無いかと探したが……(^_^;)
力及ばず、見つけられません。そうですねぇ、飛行場跡地に出来た町なんだよね。
冷静に考えれば「無くて当たり前」、でも、諦めきれません、続編したいが……?
  資料に付いて  1)航空写真 地理院より当該地区の航空写真を使いました。
 2)航空写真 1974〜1978年頃、1979〜1983年頃、1984〜1987年頃、最新2007年〜
   但し、この間1988〜1990年頃だけはありません。
 3)米軍写真 国立国会図書館デジタルコレクション資料引用
   資料URL http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/398423
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